大阪高等裁判所 平成9年(ネ)1476号 判決 1998年5月13日
控訴人(原告)小野薬品工業株式会社
被控訴人(被告)京都薬品工業株式会社
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴人の当審請求を棄却する。
三 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一申立て
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、平成一〇年七月二一日が経過するまで、原判決別紙目録記載の医薬品を販売してはならない。
三 被控訴人は、控訴人に対し、八七一万一三九一円を支払え(当審における請求の追加)。
四 訴訟費用は、第一・二審とも、被控訴人の負担とする。
第二事案の概要
本件は、控訴人(以下「原告」という。)の有していた医薬品に関する特許権の存続期間中に、被控訴人(以下「被告」という。)が後発医薬品の製造承認を得るに必要な各種試験等を行うために行った薬剤の製造が右特許権の侵害に当たるとして、右存続期間経過後に、特許権あるいは不法行為に基き、後発医薬品の販売差止(特許期間満了後二年六か月間)と損害賠償(特許期間中及び同満了後二年六か月間)を求めた事案である。
一 争いのない事実等
1 当事者
原告及び被告は、いずれも医薬品の製造販売を業とする株式会社である。
2 原告の特許権
(一) 原告は、メシル酸カモスタット(一般名称)の物質及び医薬用途について、次の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という)を有していた。
特許番号 第一二二二七〇八号
発明の名称 グアニジノ安息香酸誘導体及び該グアニジノ安息香酸誘導体を含有する抗プラスミン剤と
膵臓疾患治療剤
出願日 一九七六年(昭和五一年)一月二一日
公告日 一九八二年(昭和五七年)三月二五日
登録日 一九八二年(昭和五七年)一一月一二日
特許請求の範囲 原判決別紙一記載のとおり
(二) 原告は、本件特許権に基き、抗プラスミン剤・膵臓疾患治療剤として、メシル酸カモスタット製剤(商品名「フオイパン錠」、以下「原告製剤」ともいう。)を製造販売している(甲一、二)。
(三) 本件特許権は、平成八年一月二一日の経過をもって出願日から二〇年を経過し、その存続期間は満了した。
3(一) 被告は、平成八年三月一五日(承認日)、メシル酸カモスタット製剤(商品名「パラボラン錠一〇〇」、以下「被告製剤」という。)につき、薬事法一四条の製造承認を取得し、現在、被告製剤の製造・販売の準備をしている。
(二) 被告は、本件特許権の存続期間中に、被告製剤を製造し、被告製剤に関し加速試験等の医薬品製造承認申請のために必要な各種試験を実施した。
4 被告製剤は、いわゆる医療用の後発医薬品に属するが、
(一) その製造承認の申請には、薬事法施行規則一八条の三及び厚生省の取扱通知(昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号)により、次の資料を添付することが要求されている。
(1) 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料として規格及び試験方法に関する資料
(2) 安定性に関する資料として加速試験に関する資料
(3) 吸収、分布、代謝及び排泄に関する資料として生物学的同等性に関する資料
(4) 当該有効成分の毒性、薬理作用、吸収、分布、代謝、排泄及び臨床試験等に関する文献等のリスト及びその内容、概要並びに評価結果の資料
(二) 右のうち(2) の加速試験に関しては六か月間以上の試験期間が必要とされ、また、後発医薬品については、厚生省薬務局長通知「標準的事務処理期間の設定等について」(昭和六〇年一〇月一日薬発第九六〇号)により、都道府県知事が承認申請等を受理した日から厚生大臣が当該医薬品等に承認等を与える日までの標準的事務処理期間は、当分の間二年間とされている。
二 争点
1 被告が、被告製剤の製造承認を得るに必要な各種試験等を行うために被告製剤を製造した行為は本件特許権を侵害するか。
2 本件特許権に基づき、存続期間満了後に、被告製剤の販売差止を請求できるか。
3 不法行為に基き、被告製剤の販売の差止請求ができるか。
4 原告の損害額
第三争点に関する当事者の主張
次のとおり、付加する他は、原判決事実及び理由中の第二の三「当事者の主張」に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 特許権侵害による損害(当審における追加請求)
原告は、被告の後発医薬品製造による本件特許権の侵害に対し、損害賠償として実施料相当額を請求することができる(特許法一〇二条二項)。
実施料相当額は、通常、製造販売額に実施料率を乗じて算出されるが、本件においては、<1>特許期間中の各種実験のために製造された被告製剤の製造販売相当額と、<2>本来は製造販売のできなかった特許期間満了後二年六か月間の被告製剤の製造販売額、の合計額を基準とすべきである。
1 特許期間中の製造販売額
被告製剤の製造承認申請に必要な加速試験には最低一〇八〇錠の製剤、同じく生物学的同等性試験には最低一六錠の製剤、同じく規格試験には最低二七〇錠の製剤を要するので、右各試験に要する錠剤は最低一三六六錠であるところ、特許期間中の薬価は単価一七三円であったから、被告製剤の製造販売相当額は二三万六三一八円となる。
2 特許期間満了後二年六か月間の製造販売額
(一) 被告製剤は医家向け医薬品であって一般に販売されるものではないが、統計誌「医薬品市場統計」に掲載された販売額概数によれば、平成八年七月から平成九年四月まで一〇か月間の被告製剤の薬価基準による販売額は六八三〇万円である。
(二) 被告製剤のような後発医薬品は薬価基準よりかなり低価な実勢価格で販売されるが、厚生省は平成九年四月の薬価基準の改定に際し、実勢価格の加重平均に一・〇四八を乗じたものに旧薬価基準の一定割合(フォイパン錠の後発品の場合一〇%)を加えたものを新薬価基準とすることとした。
フォイパン錠の後発品については、平成九年四月以降の薬価基準は八〇円九〇銭とされ、旧薬価基準が一三四円七〇銭であったから、逆算すると、新薬価基準の基礎となった実勢価格は一錠当たり六四円三四銭となり、被告製剤の実勢価格も同額と推定される。
(80円90銭-134円70銭×10%)÷1.048=64円34銭
(三) そして、医薬品卸の平均的マージン率は一一・一四%であるから、実勢価格六四円三四銭から右マージン率を控除すれば五七円一七銭であり、その対薬価基準比率は四二・四%である。
57円17銭÷134円70銭=42.4%
よって、被告製剤の平成八年七月から平成九年四月までの一〇か月間における実勢価格による販売額は、(一)の販売額六八三〇万円に右比率四二・四%を乗じた二八九五万九二〇〇円となり、これを基準に二年六か月間の実勢価格による販売額を算出すると、被告製剤の販売額は八六八七万七六〇〇円となる。
3 実施料相当額
被告製剤の製造販売総額は前記1・2を合算した合計八七一一万三九一八円となるところ、医薬品薬界においては、新薬の特許発明について非独占的な実施権を付与するときは少なくとも製造販売額の一〇%の実施料率を課すのが通例であるから、右製造販売額に同実施料率を乗じた八七一万一三九一円が本件における実施料相当額となる。
二 当審における原告の補充主張
1 存続期間満了後の特許権に基づく差止請求
(一) 特許法上の存続期間制度は、当該存続期間内については、特許権者に法的利益を排他的独占的に享受することを保障する一方、右利益享受の期間を制限することで、「発明の保護」と「発明の利用」という二つの利益の調和を図った制度であり、存続期間内に特許権侵害により排他的独占的利益が侵害された場合には、たとえ、存続期間満了後に右事実が判明した場合であっても、右存続期間内の利益について特許権者に回復する方途を認めていると解すべきである。
かかる意味において、特許法六七条の存続期間は、時効や除斥期間等の制度と存在意義・趣旨が異なるものであり、原判決が右存続期間の存在意義・趣旨について検討することなく、現時点で特許権が不存在であるという形式的な事実だけで原告の請求を否定したのは特許法の解釈を誤ったものである。
(二) 特許権侵害に対する救済として、通説判例は、特許権の存続期間満了後でも、民法七〇九条に基づく損害賠償請求や民法七〇三条に基づく不当利得返還請求を認めているから、差止請求のみを否定するのはこれと均衡を失する。
「現在ないし将来の第三者の侵害行為」の不存在を理由に、存続期間満了後の特許権に基づく差止請求を容認しえないとする考え方はあり得るとしても、本件において、被告は、本来存続期間満了後に着手すべき後発品販売のための準備行為を、存続期間満了に合わせて二年六か月以上前からいわばフライングスタートをしていたのであって、存続期間中からの侵害行為が現在まで継続しているのであるから、「現在ないし将来の第三者の侵害行為」が不存在であるとはいえず、原告の差止請求権の行使を否定することはできない。
2 不法行為に基づく差止請求
本件において、被告の侵害行為は、特許権を侵害する意図の下に実行された、存続期間中の製造・実験行為から現在の販売行為までの連続した一個の行為と捉えるべきであり、かかる不法行為は、たとえ特許権が消滅しても、現在まで継続していることに変わりはない。
被告の侵害行為が存続期間中に判明していれば、原告は、当然その時点で差止請求を行い、被告は後発品の販売をすることができなかったはずであるが、侵害行為が秘密裡に行われ、それを原告が知り得なかったために、存続期間満了後も原告は本来受けるはずのない損害を日々受けている。このように、特許権存続中の違法な侵害行為が特許権消滅後も継続しており、それによる損害が日々拡大している場合には、不法行為に基づく差止請求が認められるべきは当然の事理である。
3 特許期間満了前の製造承認を目的とする特許発明の実施行為の違法性
(一) 特許法六九条一項は、試験又は研究のためにする特許発明の実施については、特許権の効力は及ばない旨を規定しており、文言上は広く試験研究のための特許発明の実施一般に適用があるようにも読める。しかし、そのように解すれば、例えば、ある種の測定方法に関する試験研究の方法そのものの特許発明に関しては、およそ侵害となるべき行為を想定することが困難となるし、また、大学や研究機関等で行われる試験研究のすべてが特許権を侵害しないということにもなりかねない。
このようなことから、特許法六九条一項は、「特許発明の技術的内容を確認する行為」に限定して適用されると解するのが一般であり、具体的には、<1>特許発明の技術的効果を確認するための調査 <2>特許技術の新規性、進歩性等の要件を確認するための調査 <3>特許発明を迂回し特許権を侵害しないような技術を探索する行為 <4>発明の改良を遂げ、より優れた技術を開発するために行われる調査等が挙げられている。
これに対し、特許発明の経済的効果を確認する行為等は、将来の販売のみを目的とした実施であり、右のいずれにも該当しないから、同条に規定する「試験又は研究」の対象外である。
(二) 後発医薬品の製造承認を得るために被告が行った本件特許発明の実施は、技術進歩とは無縁であり「試験又は研究」として正当化できるものではない。すなわち、
後発品の製造承認申請には、<1>規格及び試験方法、<2>加速試験の結果、<3>生物学的同等性試験結果、の三つの資料を提出する必要があるが、試験が必要なものは、(イ)確認試験のための赤外線吸収スペクトルの測定 (ロ)製剤試験のための重量偏差試験・崩壊試験 (ハ)加速試験 (ニ)生物学的同等性試験であり、これらはいずれも単純な試験である。しかも、これらの試験は、後発品が本件特許発明の対象である化合物と同一であることを証明するためのデータ作成のみを目的とし、なんら改良や新しい知見ないし情報をもたらすものではない。
三 被告の主張と反論
1 訴えの追加的変更の不許
原告の当審における追加請求(損害賠償)は、本件訴訟を原審に提起する段階から容易に可能であったにもかかわらず、原審の口頭弁論終結時までこれをせず、控訴審の第一回口頭弁論期日において初めて追加したものである。
原審での争点は差止請求権の存否に絞られ、双方の主張立証は右の争点に集中されていたから、特許権侵害の有無については傍論として主張立証がされたに止まっていた。
したがって、右の追加請求が許されると、特許権侵害についての新たな主張立証が必要となり、本件訴訟の審理が著しく遅滞することとなるから、民訴法一四三条一項但書(旧民訴法〔平成八年法律第一〇九号による改正前の民訴法〕二三二条但書)により右訴えの追加的変更は許されない。
2 存続期間満了後の特許権に基づく差止請求
特許法一〇〇条一項に規定する差止請求権は、現に妨害され、又は妨害されるおそれのある権利が存在し、その権利の侵害を停止又は予防するために認められている権利であるところ、特許権が消滅すれば現に妨害され、又は妨害されるおそれのある権利が消滅するのであるから、特許権に基ぐ差止請求権が否定されるのは当然である。
原告は、本件特許権の存続期間が満了しても、それから後発医薬品の製造承認に必要な期間(原告の主張では二年六か月間)は、特許権は存在しないものの、それに基づく差止請求権はなお存続し、排他的独占的利益を享受できる(原告のいう余後効力)との独自の見解を主張する。
しかし、薬事法上の製造承認制度は、医薬品の安全性及び有効性を担保し国民の健康に資するために設けられた規制であって、医薬品メーカーの排他的利益の確保を目的とした制度ではない。原告が主張する独占的利益とは実のところ単なる反射的利益に過ぎず、かかる反射的利益を根拠に排他的効力を有する差止請求権を主張することはできない。
また、存続期間満了後も特許権に基づく差止請求権が存続するとの解釈は特許法一〇〇条一項の文言や立法趣旨に反することが明らかである。右解釈は、特許権の付与により発明者の利益を保護し、それにより発明の奨励を図り産業技術の向上に資する一方、技術の自由使用が過度に禁じられ独占による弊害が生じることを考慮し、両者の比較考量の上にたって特許権の存続期間を設定・限定した特許法六七条の趣旨ひいては特許法の基本原則に抵触するもので、許されない。
3 不法行為に基く差止請求
不法行為の場合、救済方法としては金銭賠償が原則であり、一部の特則を除き、それ以外の方法による損害回復は認められていない。
仮に不法行為の効果として差止請求を認めうる場合があるとしても、それは被害者の現存する権利又は法的利益が現に侵害され又はその侵害が間近に迫っている場合に限られると解される。
本件の場合、原告が主張する権利は、本件特許権ないしは本件特許権消滅後も二年六か月間存続する排他的利益(余後効力)というものであるが、本件特許権はすでに消滅し、右排他的利益も法的保護に値しないことは前記のとおりであるから、不法行為に基く差止請求が認められる余地はない。
4 特許権侵害の有無
被告が後発医薬品の製造承認申請のためにした被告製剤の製造及び各種試験は、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当し、本件特許権を侵害しない。
(一) 技術の改良・発展を目的とする試験研究が右にいう「試験又は研究」に該当することについては異論がないところ、被告のした各種試験等は右の目的で行われたものである。すなわち、
医薬品は主薬を開発すればそれだけで完成するのではなく、主薬に最も適した、適当な硬度を持ち、しかもヒトの体内で崩壊して有効成分が溶出し、さらに生体内で適切に吸収される製剤化技術を確立して初めて医薬品として利用が可能となる。処方の仕方如何によって主薬の溶解性等が左右され、医薬品の有効性そのものに影響を与えることになるから、製剤化の検討は医薬品開発にとって非常に重要な役割を担っている。
とくに後発医薬品の開発に当たっては、先発医薬品が化学物質発明・医薬用途発明の場合、特許明細書に製剤化技術が記載されることは殆どないため、後発品の開発者が製剤の処方(成分と分量)、製剤の製造工程・製造方法等の製剤化技術を独自に検討しなければならない。
本件の場合、被告は、被告製剤につき、小型化を目的とした技術的検討を加え、また、光安定性の向上にも工夫を加えた。
(二) 特許権は、その情報開示機能として、発明内容を公開し第三者の利用に供して社会の技術水準の向上に資することをも目的としている。右情報開示機能に着目すれば、特許法は、特許権の存続期間中に第三者が特許発明の内容を調査研究して新たな技術開発の礎にするとともに、特許発明を広く産業的利用に供するための土壌を作ることを推奨しているというべきであり、前記「試験又は研究」は、直接、改良発明や新技術の開発を目的としたものだけでなく、特許技術の範囲の拡大や産業的利用につながる試験研究をも含むものと解すべきである。
被告の行った各種試験は規格・製剤化検討のためにしたもので、本件特許の対象たる物質を利用した医薬品が産業的に利用可能かを確認するためのものである。
存続期間満了後に販売する目的で試験研究を名目に特許製品の在庫を存続期間内に製造する行為や、特許製品に関するマーケットリサーチを行うために市場で試験的に販売を行う行為等は「試験又は研究」に当たらないというべきであるが、被告のした製剤化検討等のように、企業内で将来の実施を予定して特許内容に関する試験研究を行うのは、前記情報開示機能に則った試験研究として許容されるべきである。
5 損害
被告のした各種試験実施に使用した被告製剤は、もともと実験用であって販売を予定しておらず、このような研究開発用の医薬品について実施料を徴収することは通常ないし、現に被告製剤はすべて各種試験において費消し一切販売はしていない。侵害者の販売額が存在しない以上、実施料相当額の損害は発生していない。
また、後発医薬品の市場参入が薬事法上の規制によって二年六か月遅れることがあったとしても、それは先発品の独占的利益を保護するためではなく、それによる単なる反射的利益にすぎない。かかる反射的利益は法的保護に値する権利とはいえないから、原告に権利侵害があったということはできない。
第三当裁判所の判断
一 当審における請求の追加的変更の可否について
本件の原審請求は、特許権等ないしは不法行為に基づく差止請求のみであったところ、原告は、当審第一回口頭弁論期日において、特許権等の侵害に基づく損害賠償請求を追加したことが本件記録から明らかである。
被告は、当審における右請求の追加的変更は著しく訴訟手続を遅延させるもので許されないと主張するが、右追加請求における損害の主張立証は、特許期間中及び特許期間満了後二年六か月間の被告製剤の製造販売額につき、実勢価格を基礎に実施料相当割合を乗じて算定するというものに止まるから、著しく訴訟手続を遅延させるものとは到底いうことができない。被告の右主張は理由がない。
二 特許権の存続期間内に後発医薬品の製造承認申請に必要な各種試験等を行うために本件特許発明を実施することについて
1 特許法は、「特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有する。」(六八条本文)と定めて、特許権の独占的効力を保障する一方で、「特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない。」(六九条一項)として、特許権の効力に制限を設けているが、右のような制限を設けた趣旨は、特許権という私益の保護による発明の奨励と、発明の利用による科学技術の進展という公益との調和を立法的に解決しようとしたものであるから、右にいう「試験又は研究のため」の実施とはあくまで広く科学技術の進展に資するもの、あるいはそれを目的とするものでなければならないというべきである。
したがって、右の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」が規定の文言上は何らの制限も付されていないからといって、試験又は研究に名を藉りて、特許期間満了を見越した将来の販売を目的として事前に特許製品の製造・備蓄等を行うことが許されないことはいうまでもない。
しかし、「試験又は研究」は、その本来の性格上、結果が直ちに一定の成果として現われそれが直接科学技術の進展に寄与するとは限らず、むしろ、当該特許発明を多面的に検査分析することによって将来の科学技術の進展の基礎となるべき資料が得られるに止まって、いわば間接的に科学技術の進展に寄与するにすぎないことも多いものと考えられるから、成果が直接具体的な形に現われた場合のみを「試験又は研究」に当たるものと解すべきではない。
2(一) 新規医薬品につき薬事法の製造承認を得るには、ヒトに対する有効性及び安全性を確認するために、<1>物理化学的性質 <2>規格及び試験方法 <3>安定性試験 <4>製剤処方の検討 <5>安全性試験 <6>薬理試験 <7>有効性試験 <8>薬物動物試験 <9>類縁物に関する検討 <10>臨床試験、についての資料とデータを提出しなければならない(薬事法一四条、同施行規則一八条の三)。
(二) これに対し、後発医薬品にあっては、先行医薬品と同一成分の医薬品を製造する場合には、再度有効性と安全性に関する試験を行う必要はなく、<1>規格及び試験方法 <2>安定性に関する加速試験 <3>生物学的同等性試験、に関する資料と、 <4>当該有効成分の毒性、薬理作用、吸収、分布、代謝、排泄及び臨床試験等に関する文献等のリスト、その内容、概要並びに評価結果の資料を提出すれば足り、製造承認のための試験としては右の加速試験と生物学的同等性試験の他に確認試験、製剤試験のみとされている(前記第二の一4、甲三四、弁論の全趣旨)。
3 右のように、後発医薬品の製造承認申請に当たっては、薬事法上要求される各種試験等は簡略化されている。しかし、その試験を行うに際し、参酌すべき先行医薬品に関する情報は、化学物質発明の場合、化学物質の<1>特定 <2>同定資料 <3>製造法 <4>有用性(用途)等を、医薬用途発明の場合、<1>有効成分の特定 <2>薬理効果等(薬理試験・投与量・投与方法等) <3>毒性等を、特許明細書の記載から承知しうる以外には、専門学会誌に公表された製造承認申請データから知りうるに止まる(甲四五、四六)。
そのため、先発品と同等もしくはそれ以上の規格を達成するには、独自の規格を設定し、かつ、その試験方法を考案しなければならず、また、医薬品の有効成分をヒトの体内に安全かつ有効に吸収させるために不可欠な製剤化技術に関しても、枢要な部分が先発医薬品メーカーの企業秘密として開示されていないため、後発医薬品の製造者は、製剤化技術を独自に開発し、<1>製剤の処方 <2>製剤の製造工程・製造方法 <3> 主薬と製剤の品質、規格及びその試験方法 <4>生物学的同等性試験における血中成分の分析方法等について自らの製造基準や試験方法を設定考案したうえで、先発医薬品と同等もしくはそれ以上の品質、有効性、安全性を達成しなければならない(弁論の全趣旨)。
このように、後発医薬品の規格や製剤化に関する製造基準や試験方法は、いわば後発医薬品メーカーのノウハウともいえる分野として、製剤の溶解性、吸収性、服用の便宜性についての試験研究を踏まえて、先発医薬品の成分・効能に相応しい製剤の型、用量、用法に関する技術上の知見を得ることができるのであるから、後発医薬品の製造承認申請のためにする各種試験等は、それが新規発明や利用発明に直結する性格の技術研究でないために、直ちに製薬技術に関する新たな改良進歩が得られない場合であっても、薬剤の規格や製剤化技術等製薬に関する幅広い技術的・基礎的検討を経て、それが蓄積されることにより、将来にわたる製薬技術進歩の基礎となりうる各種知見や情報が得られるのであり、その点において、広く科学技術の進展に寄与しているのというべきである。
してみれば、特許権の存続期間満了後に後発医薬品の製造承認申請をする目的で、存続期間内に後発医薬品につき薬事法所定の各種試験を行うことは、特許法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるものと認めるのが相当である。
4 したがって、本件においても、被告が本件特許権の存続期間内に後発医薬品の製造承認申請のために各種試験等を行うことは、「試験又は研究のための特許発明の実施」に当たり、本件特許権を侵害するものとはいえない。
原告は、被告製剤における製剤化の工夫はマイナーな改良にすぎず、全体として先発品のデータにただ乗りして製造承認を受けたもので「試験又は研究」には当たらないと主張するが、被告製剤における製剤化の工夫がたとえマイナーな改良に止まるものであっても、それを実現するには、その過程で各種の検討や基礎的な研究を経て、間接的ではあっても将来に有用な知見や情報を蓄積することができるのであるから、右の理由をもってしては被告製剤の製造が「試験又は研究」に当たらないとすることはできない。
5 原告は、「新薬の開発には多大な労力、長年月及び膨大な費用を必要とするものであり、かつ、新薬開発の成功率も著しく低いうえ、当該新薬について特許権を取得しても、薬事法による厚生大臣の製造許可を得るのに相当長日時を要し、その間特許期間が侵食される。これに対し、後発メーカーが後発医薬品を製造販売するには、開発のリスクもなく、必要な費用も僅かであるうえ、新薬の特許期間満了に照準を合わせ、新薬の特許期間中に厚生大臣の製造承認取得のための各種準備行為をなすことを許容することは、著しく不公正である」旨主張する。
しかし、特許期間の侵食については、昭和六二年の特許法改正により、医薬品等については特別に特許期間の延長が認められたことにより解決されたものであり(特許法六七条二項、それが不十分としてもそれは立法政策の問題である)、また早期に後発医薬品が市場に提供されることは、一般国民の利益になることは否定できないのであって、先発メーカーの収益確保のみを重視するのは相当とは考えられない。
第四結論
以上によれば、被控訴人が前記各種試験のために本件特許発明の実施をしたことが違法であることを前提とする控訴人の各請求は、その余の点について検討するまでもなく、失当であり、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であって本件控訴は理由がなく、また控訴人の当審請求も理由がないから棄却すべきである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 小林茂雄 小原卓雄 高山浩平)
【参照】原審判決の主文、事実及び理由
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、平成一〇年七月二一日が経過するまで、別紙目録記載の医薬品を販売してはならない。
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件は、原告が、被告は原告の有する特許権を侵害して医薬品の試験等を行い、それに基づき医薬品製造承認を得たとして、存続期間の満了した右特許権に基づき、又は被告の不法行為を理由として、被告に対し右医薬品の販売の差止を求めた事案である。
二 争いのない事実等
1 当事者
原告及び被告は、いずれも医薬品の製造販売を業とする株式会社である。
2 原告の特許権
原告は、メシル酸カモスタット(一般名称)の物質及び医薬用途(抗プラスミン剤、膵臓疾患治療剤)についての次の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という)を有し、本件特許権に係るメシル酸カモスタット製剤(商品名フォイパン錠)を製造販売している(甲一、二)。
特許番号 第一一二二七〇八号
発明の名称 グアニジノ安息香酸誘導体及び該グアニジノ安息香酸誘導体を含有する抗プラスミン剤と膵臓疾患治療剤
出願日 一九七六年(昭和五一年) 一月二一日
公告日 一九八二年(昭和五七年) 三月二五日
登録日 一九八二年(昭和五七年)一一月一二日
特許請求の範囲 別紙一記載のとおりである。
3 被告は、別紙目録記載の承認年月日に、同記載の商品名のメシル酸カモスタット製剤(以下「被告製剤」という)につき、薬事法一四条の製造承認を取得し、現在、被告製剤の製造・販売の準備をしている。
4 被告製剤は、いわゆる医療用の後発医薬品に属するものであるところ、その製造承認の申請には、薬事法施行規則一八条の三及び厚生省の取扱通知(昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号)により、次の資料を添付することが要求されている(甲三)。
(一) 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料として規格及び試験方法に関する資料
(二) 安定性に関する資料として加速試験に関する資料
(三) 吸収、分布、代謝及び排泄に関する資料として生物学的同等性に関する資料
(四) 急性毒性、薬理作用、臨床試験の試験成績等に関する資料
5 右のうち安定性に関する資料である加速試験に関しては六か月間以上の試験期間が必要とされている(甲三)。
6 各都道府県知事あて厚生省薬務局長通知「標準的事務処理期間の設定等について」(昭和六〇年一〇月一日薬発第九六〇号・昭和六一年三月一二日薬発第二四〇号一部改正・平成二年一月一六日薬発第二六号一部改正)においては、都道府県知事が承認申請等を受理した日から厚生大臣が当該医薬品等に承認等を与える日までの標準的事務処理期間は、医薬品(医療用)の後発品は当分の間二年間とされている(甲四)。
7 本件特許権は、平成八年一月二一日の経過をもって出願日から二〇年を経過し、その存続期間は終了した。
8 被告は、本件特許権の存続期間中に、被告製剤に関し加速試験等の医薬品製造承認申請のために必要な各種試験を実施した。
三 当事者の主張
1 原告の主張
被告が、本件特許権の存続期間中に同期間満了後に製造・販売することを予定して本件特許権に係る物質を使用した準備行為をしたことは本件特許権を侵害する違法行為であり、これに基づき本件特許権期間満了後に被告製剤を販売することも右違法行為と一体の行為であって、本件特許権の存続期間が満了した後であっても本件特許権に基づき、又は不法行為の効果として、被告製剤の販売の差止請求が認められるべきである。
原告の主張の詳細は別紙二原告の主張(一)ないし(三)のとおりである。
2 被告の主張
被告が被告製剤の製造承認申請に必要な各種試験を実施した行為等は、本件特許権の侵害に該当せず、又仮に該当するとしても、本件特許権は存続期間の満了により消滅しているから本件特許権に基づき、又は不法行為の効果として、被告製剤の販売の差止請求は認められない。
被告の主張の詳細は、別紙三被告の主張(一)及び(二)のとおりである。
四 争点
1 被告製剤は、本件特許発明の技術的範囲に含まれるか。
2 被告が、被告製剤の製造承認を得るために本件特許権の存続期間中に各種試験等を実施した行為は本件特許権を侵害する違法行為か。
3 存続期間が満了した本件特許権に基づき、被告製剤の販売の差止請求が可能か。
4 不法行為の効果として被告製剤の販売の差止請求が可能か。
第三当裁判所の判断
一 存続期間満了後の特許権に基づく差止請求の可否について(争点3)
1 原告は、争点1及び2が肯定されることを前提に、被告が本件特許権の存続期間満了後に被告製剤を販売する行為は、本件特許権の存続期間中に被告がなした各種試験等の違法行為と一体の違法行為であるから、存続期間満了後もなお本件特許権に基づき、被告製剤の販売の差止が認められるべきであると主張するので、まず、この点(争点3)につき判断する。
2 特許法一〇〇条一項は、「特許権者又は専用実施権者は、自己の特許権又は専用実施権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。」と定めていることから、現に特許権又は専用実施権を有している者が、現にその権利を侵害され又は将来その権利を侵害されるおそれがある場合に、その侵害の停止又は予防を請求できるものと解せられる。これを本件についてみると、仮に、被告が本件特許権の存続期間中になした各種試験の実施等が本件特許権の侵害行為であり、かつ、被告がその成果に基づいて本件特許権の存続期間満了後に被告製剤の販売を行うものであるとしても、本件特許権は存続期間の満了により既に消滅しているから、被告製剤の販売により、本件特許権が現に侵害され又は将来侵害されるおそれがあるということはできない。
また、特許法六七条が特許権の存続期間を一定期間に限った趣旨は、特許権の付与によって発明者の利益を保護することにより発明の保護・奨励を図り産業技術の向上に資するとともに、特許権という独占的かつ排他的支配権の付与による第三者の営業活動上の制限ないし不利益及び発明の実施の促進による産業の発達に寄与するという目的との調和を図ったものであると考えられる。そして、特許法六七条二項、六七条の二、六七条の三は、医薬品等の特許権については、その製造承認等の手続の特殊性に鑑み五年を限度として存続期間の延長を認めているところ、右条項以外に特許権の存続期間の延長を認める規定は存在せず、右条項が昭和六二年法律第二七号により創設されたものであることに照らせば、特許法は、医薬品等の特許権についても、右条項の限度を超えてはその存続を認めない趣旨と解するのが相当である。
しかるに、特許権の存続期間が終了してもなおその特許権に基づき差止請求権を行使できるとするならば、特許権の効力の存続を認め、特許権の存続期間を延長することと同様の結果をもたらすことになるところ、このような結果は、前記のように特許権の存続期間が法定され、延長期間も限定されている趣旨に反することになる。
以上のように、特許権に基づく差止請求を定めた特許法一〇〇条一項の文言並びに特許権の存続期間及び延長期間の趣旨に照らせば、存続期間の満了した特許権に基づく差止請求を認めることはできないといわざるを得ない。
3 原告は、原告が求めているのは、本件特許権の存続期間中の被告の侵害行為の成果としての被告製剤の販売の差止のみであり、特許期間の延長を求めているものではないと主張する。しかし、特許法一〇〇条に定める差止請求権は、特許権によって発明者の利益を保護するための最も直截的かつ効果的な手段であって、特許権に付与された主要な効力の一つであることに照らせば、特許権の存続期間満了後に差止請求を認めるとすれば、特許権の存続期間及び延長制度の趣旨に反することは明らかであるから、右主張は採用できない。
また、原告は、被告は本件特許権の存続期間中の違法行為の成果を得ようとするものであるから、右違法行為がなかったとすれば、現在あるであろう姿に戻すという限度において、いわば特許期間満了後の特許権の余後効力として、差止請求権を有すると主張する。しかし、原告が主張するような特許権の余後効力を認めることができる法的根拠はないばかりか、このような余後効力を認めるならば、結局、特許権の存続期間や延長期間の趣旨に反することになることは前記と同様であるから、採用することはできない。
原告は、特許権の存続期間満了後に後発医薬品の製造・販売の準備を始めた場合には、その製造承認を得るために少なくとも二年六か月を要するから、その期間中は、原告が本件特許権に係る医薬品の製造・販売について市場を独占できる利益を有するとし、その独占的利益の侵害を防止するために侵害行為のなかった状態に戻すことを特許権の効力として認めるべきであるとも主張する。しかし、特許法が特許権の存続期間を法定している趣旨からすれば、特許権の存続期間満了後における経済的利益まで保護するものであるとは解せられない。また、確かに、薬事法の規制上、医薬品の製造承認を得るには一定の期間を要することとなっているものの、それは薬事法所定の目的を達成するための行政上の必要性に由来するものに過ぎず、先発の医薬品の製造・販売業者の利益を図るためものではないのであるから、薬事法による医薬品の製造承認上の規制により、結果的に、特許権の存続期間の満了後においても、一定期間、後発医薬品の製造・販売が開始されないことになり、先発の医薬品の製造・販売業者が事実上市場を独占できるという利益を享受することがあるとしても、それは、薬事法の規制に伴う事実上の反射的利益に過ぎない。したがって、これをもって、特許権に存続期間満了後も差止請求を認める根拠とすることはできない。
さらに、原告は、被告は本件特許期間中に秘密裡に準備行為を行ってきたのであるから、本件特許権の存続期間が満了したことを理由に差止請求権が認められないと被告が主張することは、クリーンハンドの原則や信義則に照らして許されないと主張するが、本件特許権の存続期間の満了後は、原告は差止請求権を有しないから、原告の右主張は失当である。
原告が、指摘するその他の事由及び外国の裁判例を考慮しても、以上に述べたところに照らせば、特許法その他わが国の法制上、既に消滅した特許権に基づき差止請求を認めるべき根拠は見い出せない。
4 右のとおり、存続期間満了後の特許権に基づく差止請求は認めることはできず、したがって、仮に争点1及び2が肯定され、被告製剤の販売が、本件特許権の存続期間中になされた侵害行為の成果に基づくものであるとしても、原告の本件特許権に基づく差止請求は理由がない。
二 不法行為の効果としての差止請求の可否について(争点4)
1 次に、不法行為の効果として被告製剤の販売の差止請求が認められるか否かについて検討する。
仮に不法行為の効果として、その差止請求を認めうる場合があるとしても、それは被害者の現存する権利又は法的利益が現に侵害され又はその侵害が間近に迫っている場合に限られるものと解するのが相当である。しかるに、原告が主張する権利侵害の内容は本件特許権の侵害であるところ、本件特許権は存続期間の満了により既に消滅しているから、被告製剤の販売により、本件特許権が侵害され又はその侵害が間近に迫っているということはできず、本件特許権の侵害による不法行為の効果としての差止請求を認めることはできない。
2 原告は、本件特許権の存続期間の満了後二年六か月間は市場を独占できる利益を有し、被告製剤の販売によりこの利益が侵害されると主張するが、原告の主張するこの利益が、事実上の利益に過ぎないことは前記一3で述べたとおりであって、法的に保護された又は保護すべき利益であると解することはできない。したがって、右利益の侵害を理由として、被告の被告製剤の販売行為が不法行為に該当するということはできない。
その他の原告の主張をもってしても、被告製剤の販売によって、原告の現存する権利又は法的利益が、現に侵害され又はその侵害が間近に迫っているものということはできない。
3 したがって、争点1及び2が肯定されるか否かにかかわらず、不法行為の効果としての差止を求める原告の請求も理由がないというほかはない。
三 以上の次第であり、原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
別紙目録及び別紙一ないし三 <省略>